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蓋はあるけど、棺おけは奥まで見える

世界はどんどんコロナに慣れて行く。安全のため、人々はお互い常に距離を置く状態になっている。国と国の間には制限が設けられ、自由に往来することができない。電子機器を通じて会話している私たちは、スクリーンの向こうで人の温度を想像し、そのスクリーンのガラスが割れる日が来ることを待っている。家にずっといることで、時間が見えないところで無意識に消えていく。その時間はもう二度と戻ることはない。過去はもう変えることもできない。それは私たちみんな一緒である。日々に対する印象は数字になっている。日にちを分ける境界は、実線が破線になった。人と人との距離がどんなに近くても感じる壁が大きくなる。孤独を感じる時間と空間も増えていく。それは本来何が発生するべきものが方向展開したかもしれない。今、過去と未来の想像の間で絶えず行き来し、懐中電灯は電源を失う危険に直面している。ちらちらしているが、でもしっかりと握っている。暗い道に向かって、前の道がどんどん見えなくなる。電子時代の今、電子機器の故障と同じく、時間も故障している。時間の連続性はまるで合併したように、一体化している。カレンダーの概念が死んだ。その時間の死、今に対する不安、目の前の暗雲は全部透明な棺おけの材料になって、棺おけを作り上げていく。自分がその中にいる。未来に対する不安は来ると予知していたが、どうしようもない。必ず何かに向かって、カウントダウンしている。でも終わりが見えない。

蓋はあるけど、棺おけは奥まで

見える。ここで自身への”祝福”を持って、花を捧げる。

エンシャクカン

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